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無人島プロジェクト

ほづき先生、無人島いったのぉ~?(basic)

序.「死なない、死なせない」

新しい「令和」の時代がスタートしたこの夏、無人島で生活をしました。
ライフラインはもちろん無く、食べ物は自分で手に入れる。
唯一のたくさんは、天敵の「蚊」。
そして、唯一たくさん降ったのは「雨」。
無人島での生活で、様々なことを経験しました。
名古屋に戻り、日常の生活に戻った今、無人島での生活を振り返ります。

1.無人島へ行く「決断」

どうして、無人島に行くことを決断したのか、今でも分かりません。
現在名古屋で、自殺対策や生活困窮者自立支援制度に関すること等に携わっていますが、なぜ「福祉の道」を歩むことを決断したのか分かりません。
また、大学へ進学する際も、なぜ法学部への進学を決断したのか分かりませんでした。
20数年の生き方を振り返ってみると、なぜそのように決断したのか分からないことが多くあり、いったい自分は何がしたいのか、自問自答し続けていました。
しかし、分からないけど、とりあえずその世界に飛び込んでみたことで、自分が知らない様々なことを学び、肌で経験することができ、視野が少しずつ広がっていると実感しています。
だから、無人島に行くことに関しても、特別な理由や目的などは無く、行ってみたら何らかあるだろうという構えで、決断しました。

2.さぁ、無人島へ!

無人島で生活する準備を本格的に始めたのは、1週間前。
無人島で生活するのだから、余計なものは持って行かず、最低限度の生活を営むことができる程度に収めました。
無人島に上陸する前日に大阪入りし、一緒に無人島で生活する2人の韓国人と合流し、一緒に姫路まで向かいました。
ちなみに、2人の韓国人のうち1人は同い年で、学生時代にヒッチハイクで博多港まで行って釜山に渡り、釜山でしばらく野宿をしたときに出逢った、唯一無二の親友であり、無人島へ行くことを後押ししてくれたひとりです。
ドキドキとワクワクが落ち着かない中、ついに無人島上陸!
集合場所の姫路駅から姫路港まで向かい、バケツリレーの如く荷物を船に積み、瀬戸内海に浮かぶ無人島を目指しました。

3.ついに、上陸!

瀬戸内海の無人島、太島に上陸しました。
無人島生活の始まりです。
電気や水道などのライフラインはもちろん無く、あるのは岩や石、草や木、天敵である蚊、そして無人島の原住民(笑)←※無人島プロジェクトのスタッフです。
無人島へ向かう前よりも、ドキドキとワクワクが高まる一方で、緊張と不安が心に芽生え始めながら、荷物を船から下ろしました。

4.試される「主体性」

無人島では、単独行動はご法度。
「死なない、死なせない」ためにも、トイレなどを除き、少なくとも2人以上で行動します。
そして、ひとりひとりが「主体性」を持って、無人島での生活に臨むことが求められます。
その「主体性」が最初に試されたのが、寝床づくりでした。
無人島に上陸し、チームが発表されました。
私たちのチーム名は「わからない」。
このチーム「わからない」のメンバーで、寝床づくりを最初にやりました。
ハンマーなどは無いため、転がっている固い石で釘や杭を打ち、どこから手を付けたら良いのか模索しながらも、ひとりひとりが「主体性」を発揮し、寝床が完成しました。
寝床を完成させ、すぐに新たなミッション、食糧調達が待ち構えていました。
もちろん無人島には、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどはありません。
海に潜り、山に登って食糧を手に入れなければ、何も食べることはできません。
そしてここでも、ひとりひとりの「主体性」が試されます。

食糧を手に入れるため、海パン・シュノーケル姿で、海に潜りました。
天候も悪く、雨が降り続いていたせいか、海の中は少し濁っており、獲物がどこにいるのか分かりづらかったです。
しかし、何か捕まえないと何も食べられないという地獄だけは味わいたくなかったため、必死に獲物を捕まえました。
食糧を手に入れて満足するのも束の間、その食糧を調理しなければなりません。
この調理するのが、大変でした。
そもそも、大雨の中での野外調理。
テンションは下がり、イライラが増す一方。
しかし、そんなことを言っている余裕と暇はありません。
まず、チーム「わからない」総出で火を起こしました。
そして、原住民の如く火を起こし、ウーロン茶の空き缶を、平たい石の上に擦り続けて、缶のフタを外し、ご飯を炊きました。
大雨が降りしきる中、怒涛の一日が終わりました。
初日から、ひとりひとりの「主体性」が試され、無人島の中に限らず、どのような状況においても、ひとりでできることは限られると、改めて実感しました。

5.原住民、「俺に向かって飛び込め!」

無人島では、食糧を手に入れ、それを調理することがほとんどでした。
朝から満潮の瀬戸内海に飛び込み、水が鼻に詰まりながらも、ほとんど潜っていました。
無人島内を一周した時には、崖から大海原に飛び込みました。
飛び込む直前までは、もちろん怖かったですが、原住民が「俺に向かって飛び込め!」と叫ぶので、そのとおり原住民に向かって飛び込みました。
チーム「わからない」のひとりでもある原住民tee。
寝床のつくり方をはじめ、火おこし全般や、平たい石に擦り続けて缶のフタを外す方法など、様々なことを教えてもらいました。
ありがとう、原住民tee(^^♪

6.さようなら、無人島

迎えの船がやってきました。
無人島での生活が終わります。
無人島での生活が終わる前日、一緒に生活した仲間たちと火を囲み、大雨が降りしきる中、ひとりひとりが自由に話をしました。
どうして無人島に来たのか、いま何を悩んでいるのか、これからどうしたいのかなど、様々な話をみんなで共有しました。
行ってみたら何らかあるだろうという構えで、無人島生活に臨んだ自分自身。
この時間で共有したことは、無人島から帰った後、日々の生活でしっかりと活かします!
無人島に別れを告げ、有人島で久しぶりに風呂に入りました。
有人島で昼ご飯を済ませ、船で姫路に戻りました。
これで、一応はお開きです。

7.帰り際に別れのチュー(男✕男)

姫路駅で解散後、打ち上げがありました。
打ち上げが始まるまで少し時間があったので、無人島で生活する前日に、大阪で合流した2人の韓国人と一緒に、姫路市内の商店街で迷いつつ、姫路城に行ってきました。
みんな同じことを考えていたのか、姫路城に着くと、無人島での生活を一緒にした仲間たちがいました。

そして、いよいよ打ち上げの時間。
多くの仲間たちが一堂に集結し、待ちに待った打ち上げが始まりました。
無人島で生活する前の姿とは異なり、男女問わず日焼けし、まるで動物園の様でした。
打ち上げが終わり、今度は2次会です。
2次会では、別の無人島でキャンプをしていた他の参加者と合流し、帰り際に別れのチュー(男✕男)をするほど、盛り上がりました。
予想はしていましたが、案の定、バスや終電を逃し、無人島で一緒に生活した仲間と姫路市内で爆睡しました。
そして翌日の夜、名古屋に戻りました。

8.ほづき先生、無人島どうだった?

名古屋に戻った翌日、職場に復帰し、職員から「あれ、重松さん焼けた?」と言われました。
「実は、無人島で生活をしていたんです(笑)。」と返した瞬間、職場内の空気が驚きと動揺でいっぱいになりました。
無人島に向かう前の七夕、日頃からとてもお世話になっている名古屋市内の学童保育所の笹の葉っぱに「無人島から生きて帰って来られますように。」と書いた短冊を吊るしてきました。
短冊を吊るした際、子どもたちに「え、ほづき先生、無人島行くの?」と言われ、ひとりの子どもが『無人島のサバイバル(崔徳煕、2008年、朝日新聞出版)』という漫画を渡してくれました。
名古屋に戻り、学童の子どもたちや指導員から「ねぇ、ほづき先生、無人島どうだった?」と聞かれ、「学童も動物園みたいだけど、無人島もある意味、動物園みたいだった。」と返しちゃいました。
学童の子どもたちにも、夏休みなどの機会に、ぜひ無人島での生活を経験してほしいです。
また、気づけば16年余りやっている、フルコンタクト空手の道場では、師範はじめ指導員や道場生の子どもたちからも「無人島どうだった?」と質問の嵐に遭いました。
無人島での経験を、自分自身の心だけに留めず、楽しみにしている多くの人に伝えることが、無人島体験者としての一つの「義務」であると、自覚しました。

総括.究極の福祉=「無人島福祉」

日ごろより携わっている福祉の世界において、「ふ・く・し(福祉)とは、普通に、暮らせる、しあわせ」と表現され、また「助ける≠援助」「助ける≒ありがた迷惑」という考えがあります。
すべての悩んでいる人が、必ずしも助けを必要としているのではなく、あくまでも援助だけを必要としている場合も考えられます。
もちろん、ひとりでできないことに助けの手を差し伸べることは当然です。
しかし、ひとりでもできること等に対しても、助けの手を差し伸べることはありがた迷惑であり、その人のプライド(自尊心)が傷つき、やる気や生きがいが低下してしまう可能性もあります。
場合によっては、その人自身が「自分は社会から必要とされていない。生きていても仕方がない。」と思ってしまい、自ら命を絶ってしまう可能性も考えられます。
ひとりでもできること等は、できる限り自らの力で遂げさせ、それでも難しければ、助けるというよりは援助の手を差し伸べることが、その人にとってふさわしい福祉につながることでしょう。

無人島での生活においては、ひとりひとりの「主体性」が試されました。
しかし、いくら「主体性」を発揮することができても、ひとりひとりのできることは限られます。
その様な状況だからこそ、前述の考えに基づいた福祉の本領が発揮されます。
海には潜れないけど、釣りが得意であれば、釣って食糧を手に入れることができれば、それで十分。
重い荷物は運べないけど、軽い荷物が運べるなら、軽い物を運ぶことができれば、それで十分。
無人島に限らず、日々の生活においても、できることを主体的にやれることができれば、それで十分だと考えます。
助け合わなければ死んでしまう無人島での生活は、究極の福祉=「無人島福祉」を考えることができる、貴重な時間でした。

written by ほづき

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無人島プロジェクト公式

生きるを学ぶ。無人島。そこには非日常のドラマがある。朝日と波の音で目を覚ます、お腹がすくから漁をする、何もないからこそ、星空の下で語り合う。電気も水道もない無人島での体験プロジェクト。 参加型ツアー、オーダーメイドキャンプなどを企画しています。
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