大学生最後の挑戦に、無人島を選んだわけ
就活も終わり、今年は社会人になる前の最後の夏休み。僕は何か、”学生最後の挑戦”がしたい気持ちに駆られていた。コロナ禍にさえならなければ、本当は一人旅をしている予定だった。代わりになるものはないかと悶々としていたが、状況が状況なのでなかなか難しい。そこで「無人島」という言葉が浮かんだ。誰もいない絶好の環境。
実は一年前、《無人島プロジェクト》が主催する2泊3日の無人島キャンプに参加していて、無人島の魅力にどっぷりはまっていた。もともと今年も参加する予定にはしていたが、この時僕はとにかく僕は一人になりたかった。学生生活や今後のことで色々悩むところもあり、自分と向き合う時間を欲していた。
そこで《無人島プロジェクト》の企画の参加に加え、前後の日程を追加して合わせて10日間の無人島キャンプをすることにした。
10日間の無人島滞在
初日。無人島に行く時の高揚感と好奇心は昨年と変わらなかったが、今年は完全に一人で上陸すると言うこともあり少しばかり緊張していた。
到着してまず初めに思ったことは、ゴミの多さである。漂流物も多いように感じたが、明らかにキャンプで来ている人の置いて行ったゴミも多くとても悲しい気持ちになった。無人島という自由な空間だからこそ、ちゃんと節度を持つべきだと思うし、責任ある行動するべきだと感じた。
テントを設営し、フィールドをある程度整理したところで海に入り、少々の魚を獲った。その時点で夕日が近くなり、夕飯を済まし、テントに入った。
初日にして、そのタイミングで飽きがきた。一人でいる無人島に自分は意味を感じないのではないかという問いが生まれた。考えると、日常でも自分の時間は大切にするものの身の回りのことは友人と遊ぶためとか、家に飲みに来るからというような動機がないと掃除や仕事などを精力的に行うことはなかったように思う。「誰かのために」という動機の強さを感じた。
仲間と合流して過ごした3日間とその後のギャップ
今回は《無人島プロジェクト》の企画と合わせての滞在だったので、2日目からは30人程度の仲間が合流した。僕が去年参加し、初めて無人島を経験した企画である。3日間、大勢の仲間と一緒ににぎやかな時間を過ごした。
しかしみんなを見送ったその夜、僕はとてつもない孤独感に襲われた。心が押しつぶされそうになった。無人島に滞在した10日間の中で一番しんどかったと言っても過言ではないくらい、本当にしんどい日だった。
ここから丸3日間、また一人ぼっちの無人島生活が始まった。
太陽の存在と体内時計
10日間も無人島で過ごしていると、自分の身体や思考にさまざまな変化が生じてきた。
まずは時間。次第に時間という概念はないに等しくなった。太陽が上がるごとに起床し、沈んだら自然と就寝する。目覚まし時計に急かされることもなく、夜更かしして罪悪感を感じることもない。ただ太陽と地球と共に生きているような感覚になり、ストレスフリーな生活を送れた。食事も自然と1日1食になっていき、特にそれが苦しいわけでもなく自然と順応した。
二つ目は太陽。日常では太陽の熱を意識することなんてなかった。太陽の熱と風の涼しさで体温調節なんてしなかった。服で着飾って自然なんてガン無視だった。
でも、無人島で感じた太陽の熱はただのあたたかさではなく、温もり的な温かさがあった。一人でいたからそれは余計に色濃く感じられた。太陽という存在は、無人島では非常に僕を安心させてくれるものだった。
孤独と向き合った結果、人として「生きる」ことの本質に気づく
今回の無人島生活で得られた一番の発見は、人間は一人で生きることはできるということである。必要最低限の食事と体調管理と衛生面に気を遣えば、「体」を維持することはできることはわかった。しかし、一人でいればいるほど「心」が潰れていくこともわかった。
夕日や朝日の感動も、火の暖かさも海のきれいさもご飯のおいしさも、一人では全く「心」が満たされなかった。ただの作業になり、生きてはいるが生きている実感は湧かなかった。
この10日間で、心と体は分離しているのだなと感じた。いわゆるQOLと言われるような生きる上での質のような部分には必ず、人が関係してくるのではないかと感じた。
あくまで自分は、みんなと一緒に過ごしている時はみんなのために魚を獲りたかったし、火を起こしたかったし、何より生きようと思った。これらは一人では全て作業と化していた。
無人島ではお金がなくても物がなくても、人がいれば、景色に感動できて、何をしていても楽しく感じた。これは今回の無人島生活で、一人の時間と仲間との時間のどちらもできたからこそわかった発見である。
もちろん社会に戻るとお金や時間がないとできないことはたくさんあるわけなのだが、無人島では仲間と一緒に、お金も時間も忘れて幸せに生活できるのに、何のために働き、何のためにお金と時間に縛られて生きるのだろうかと感じた。特に日本においては時間という概念は厳格であり、常に何か急かされている日常が無人島に来てバカバカしく感じられた。
一歩踏み出して行ってみた離れ小島が教えてくれたこと
島の近くに離れ小島があったので泳いで行ってみたら、意外と近かった。無人島生活自体は一年前にも経験していて、その時はこの離れ小島はもっと遠いと思っていた。自分が視覚で想像できる範囲など信用できないなと、その時僕は思った。思い返せば、泳ぎ始めたら潮の流れで進み、始めるまでの不安で頭に残っていることなんて全くなかった。
今思うと、迷ってうじうじしていた時間がもったいない。その一歩のおかげで見えた世界は格別だったから。きっとなんでもそうなのだろう。ただ、最初の一歩の怖さはいつまでも付きまとう物なのかなとも思う。
無人島は自分が赤裸々になる場所
前述の通り、無人島にきたのは今回が初めてではない。無人島に来る時に毎回自分は感覚的に全てを捨ててきている。持っているのは自身の心と体だけである。無人島はありのままの自分の心と対話できる場所であると思っている。これだけは仲間がいようが一人だろうが変わらなかった点である。自分がしたいことに忠実であること。10日間いてたくさん変わるものはあれど、これだけは変わらなかったと感じている。
無人島生活での新しい発見
今年はゴミが異常だった。大量のゴミを毎日のように掃除した。でもそこで気づいたことがある。自然に還らないプラスチックに、動物が棲みついていたのである。過剰なゴミは害であることに間違いはないが、一方でゴミと自然が共生している部分もあるのを見ると、大きな地球の歴史の中ではこのゴミは一概に害ともいえないのかなとも思ったりした。それでも、異常だから清掃はし続けるが。
もう一つ大きな発見があった。無人島にはほかのお客さんもいたのだが、その中に横笛や楽器を持ってきた団体がいて、6日目頃の朝はその音色で朝目が覚めた。心地が良かった。
その時、自然と聞き流していた虫の音や波の音、風の音が意識的に聞こえるようになり、孤独で押しつぶされそうだった心に少しの安らぎが生まれた。とても満たされる気分だった。
音楽などの娯楽は生きる上では娯楽に過ぎない。しかし、娯楽が必要不可欠であることに改めて気付かされた。
大学生が無人島生活をして感じたこと
10日間という期間にわたり無人島生活を通じて、「つながり」って大切だなということをとても感じた。これまで一人でもかろうじて生きられたのは、きっと家族や友人、お世話になった方がいたからであり、そんなつながりが一つもなければきっと、生きた尸だったのではないかとか思ったりする。
もちろん自分の人生は自分のために生きるべきだと思うが、それは一人で完結することはできず、社会にいる以上、人が動機となり人生は豊かになり、生きる意味に変わっていくのかなと感じた。
長期間の無人島生活をもう一度やりたいかというとやりたくないが、自分を見つめ直すそれとしてはとても良い時間だったと思っている。
Written by そーちゃん