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無人島は第二の社会(博多basic)

私の死ぬまでにしたいことリストの一つが、無人島で生活することだ。

 ある時、買い物途中にたまたま見つけた無人島キャンプをうたったポスターを目にし、今回の「2泊3日無人島キャンプ」(以下、ベーシックキャンプ)に迷いもなく申し込んだ。家族や友人に「ほぉ〜、変わってるね〜」「無人島で生活は100%やらないわ」と言われた。

思えば、家族に「変わってるね〜」「頭の回路どこかちょん切れてるんじゃない?」と言われることがしばしばある。私としてはいたって普通のつもりであり、具体的なエピソードが思い浮かばないほどである。だからこそ、嫌われたくない、人間関係を崩したくないという気持ちで相手の顔色や他人の視線を気にすることが多くあった。

ベーシックキャンプ当日。37人もの参加者。こりゃあまた気疲れしそうだ。

近くにいる人から会話が始まる。純粋に無人島が好きな人、つい最近仕事を辞めたばかりで自由に生活する人、旅をしながら日本を転々とする学生、好奇心に引っ張られて飛び込んだ人などと一人一人の個性が強い。無人島に集う人々は私を含め、どこか変わっている。だからか、気疲れより興味が湧く。初対面にも関わらず前から知っているような感覚さえおぼえる。

個性豊かなメンバーは無人島での過ごし方も自由奔放だ。アブを捕まえ調理する。別の場所ではそうめん流しならぬ、ほうとう流しも始まった。竹はなければ調達し、ほうとうの流れがスムーズになるよう竹の並びを整える。みんなの知恵や協力プレイが光る。

1人の思いつきやおもしろそう!という感覚から始まる行動が別の人にも伝わり、まるで歯車のように動きを伝えていく。気づけば人が集まり、みんなで楽しんでいる。みんなの歯車が合わさり、どんどん大きなエネルギーを作り出していく感じ、たまらない。

また、無人島では食糧調達や火起こしも自分たちの手で行う必要がある。明らかに不便な環境だからこそ、何不自由ない当たり前の日常が貴重であるか身をもって体感することができる。私の足りないことで満たされる喜びを知り、失うことで得ることに感謝するのだ。

社会では、即戦力を身につけることや今自分が何をしなければならないか考え行動する事の大切さを教わる。泳ぐのも中学生以来で、サバイバル経験0の私ができることはたかが知れている。みんなの足を引っ張り迷惑な存在だろう。少しでも嫌われないようにしなくてはと、いつもの悪い癖が発動し始めていた。

しかし、無人島という社会は全く違うのである。自分の弱みを分かってくれ、好奇心を汲み取り挑戦をサポートしてくれる。力や技術ではない。できる、できないでもない。「人」としてのありのままの自分を受け入れてくれ、ありのままの自分を必要としてくれる人がいる。互いが尊重し合い、世間の普通や偏見を取っ払い、一人一人の多様性が認められるのだ。

みんなさまざまに異なる場所、社会環境からやってきた人たち。けれどみんなに共通することがある。それは、自分らしくいる勇気を持っていることだ。相手にどう思われるかや他人の視線は気にしない。世論に押された行動ではなく、自分の心の声に従う勇気を持っている。ものすごくかっこいい。

誰も強制しない。そもそも無人島において、しなければならないことや、こうあるべきという概念は存在しないのだ。

無人島という社会が好きだ。そして、無人島で伸び伸びと生活している自分が好きだ。飾らず気負わず自由な自分。「世間のいい人」であるために自分の気持ちを抑える必要もない。地位や職業、生き方を取っ払い、好奇心の赴くまま行動したのはいつぶりだろう。

共に生活した37人の仲間は出会って3日しか経っていないのが信じられないほど。みんなと出会っていなければ、私はどんな姿だっただろう。漫然と続く日常の中で安定を求め、自分の心の声を閉じ込めながら過ごす日々だったに違いない。

ベーシックキャンプが終わった今、無人島開拓の手伝いに参加したり、シュノーケルの道具をそろえ無人島の仲間と海に潜り、近いうちに仲間と登山に行こうと計画もしている。インドアだった私に職場の人も、家族も友人もここまでの変わりように驚いている。

大袈裟さかもしれないが、無人島や無人島で出会った仲間、そして今回のベーシックキャンプは私の人生を180度変えてくれた、アナザースカイである。

本当の自分がわからない、社会での生活や人間関係に疲れた人ほど参加してほしい。無人島は何もないが、得られるものは一生ものだと自信を持って言える。

この体験記が誰かの背中を押すきっかけになりますように。

Written by もえ

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