「無人島プロジェクト」との出会い
「無人島って知ってる?」
1年前、初めて出勤した居酒屋バイトの退勤後、先輩に言われた一言から私の物語は始まった。
茨城県の隅っこで生まれ、家の近くのジャスコに入り浸り、ネリケシを元の消しゴムより大きく作れた人は将来有名になれるというジンクスを本気で信じてきた私は、22年間狭い狭い世界ですくすくと育っていった。
そんななか先輩が教えてくれた、無人島プロジェクトの存在。どうやらこの世には、日本各地から集まった赤の他人と無人島で生活をするというイベントが存在するらしい。
怠惰な自分に挑戦する決意
私は、親が希望する進路に進み、コロナを理由に「大学4年間何もできなかった〜」と嘆き、自分と向き合うことを避け、夏休みの宿題は最終日まで手をつけてこなかったような、怠惰を極めた現実逃避型の人間だった。それでも、無人島プロジェクトの存在を知った1年前のあの日、バイトから帰ってすぐに応募フォームを記入したことだけは本当に誇りに思う。
結局、1年前の応募会は台風で中止になってしまったけれど、リベンジすべく今年も応募フォームを送った。当日、1番乗りで待ち合わせの姫路駅に到着した。そこへ現れたのは、幼児から長老まで老若男女、個性豊かなメンバーたち。皆それぞれに「無人島で何かを掴みたい」という想いを抱えているようだった。誰もが少し緊張しているけれど、どこかワクワクした空気が漂っていた。
私はその場で、今までの自分の中にはなかった「一歩踏み出した自分」を強く感じていた。知らない人と過ごす未知の場所で、生活をするなんて想像もつかない。でも、その不安が私を逆に奮い立たせてくれていた。次第に「できる限り楽しもう」という気持ちが膨らんでいった。
無人島での生活が始まる
到着した無人島は、私の想像をはるかに超える場所だった。広がる青い海、どこまでも続く砂浜、そして切り立つ岩場。スマホも電気もないその場所で、私たちは自分たちの力で生活を作り上げなければならない。最初はどう動いていいのか分からず戸惑ったが、メンバーの一人が積極的に火を起こし始め、また別の人がシェルターを組み立て始めるのを見ていると、少しずつチームの一員としての自覚が芽生えてきた。
仲間と共に作り上げる「生きる場所」
私たちは役割を決め、火起こしや水の確保、簡易トイレの設営など、それぞれができることを協力しながら進めていった。火を起こせた時、そして初めて煮炊きしたご飯をみんなで分け合って食べた時の達成感は、今までの生活では味わえなかった感覚だった。
共同生活の中では時には意見がぶつかることもあった。でも、限られた環境だからこそ一人一人が重要な存在であることを身をもって感じることができた。「私がやらなければ誰もやらない」という状況が、逃げずに向き合う覚悟を自然と引き出してくれたのだ。
自分と向き合う時間
夜になると、波の音が静かに響く中で、ただただ星空を見上げる時間が訪れる。街の喧騒も、スマホから流れる情報もない中で、こんなに心を落ち着けて自分自身と向き合う時間があることに気付いた。これまでどれだけの時間を現実逃避に費やしてきたのだろうか。無人島での体験を通じて、自分がずっと避けてきた「本当の自分」と向き合わなければならないことがはっきりと見えてきた。
帰路につくときに感じたこと
数日間の無人島生活を終え、再び姫路駅に戻った時、私の中には達成感と同時に名残惜しさが溢れていた。スマホや日常の便利さは確かに快適だが、無人島で感じた「生きる実感」を、私は忘れたくないと思った。
無人島での経験は、「本当に自分がやりたいことは何なのか?」という問いを改めて自分に突きつけるものだった。あの日、何気ない先輩の一言から始まったこの挑戦を通して、私は一歩ずつ、怠惰な自分から前に進む力を手に入れられたのかもしれない。
新たな挑戦へ向けて
無人島で学んだことは、ただの思い出ではなく、私の新たな一歩を後押ししてくれる大きな力になっている。これからは、少しずつでも自分と向き合いながら進んでいきたい。あの無人島での経験が、私に新しい道を指し示してくれたのだから。